私のことを少しでもご存じの方は、私がクリストフ・プレシェフの大ファンを公言していることもご存じだと思う。2019年にはシェフの本を出版する機会もいただいた。因みに「本を制作するシェフはどうやって選ぶの?きらいなシェフでも書けますか?」とよく聞かれるが、答えは即答でノーである。料理、あるいは性格、理想的には両方が好きじゃないと本はできない。今までずっとそうしてこれたことは、とても幸運だと自覚している。
その一方、決して甘党ではない上にフランス人なら誰もが大好きなチョコレートも嫌いで、レストランでもデザートの時間になるといつも落ち込むのだ。本当に美味しくて「大好き!」と思ったデザートといえば、カミーユ・レセック*時代のホテル・ル・ムーリス、最近ではアンジェロ・ミュサ**のプラザアテネ、そして私が、前世紀からパリ一と言い続けているランブロワジー。生意気にも子供のころ「ランブロワジーのミルフイユはパリで一番」と宣言していた。
そんな私が、レストラン、ル・クラランスでシェフパティシエールのアウローラ・スタローリさんのデザートをいただき、とっても不思議な体験をした。
パティスリーのオリジナリティー
果たしてこのデザートは美味しかったのか?恐らくイエス。パンク?それもイエス。クラランスには2015年末のオープン以来足繫く通っているのだが、デザートがこれほど創造性に溢れ、率直で、更に「パンク」という点で料理と同じレベルだったのは今回が初めてだ。
創造性という言葉はパティスリーの世界では珍しい、と言ってしまうと誤解を生むかもしれない。しかし、本来デザートは料理のように自由に遊べる範囲が少ない。パティシエと呼ばれる人たちは几帳面で、あまり「脱線」するような人はいないのだ。例えば火入れ。料理人は火加減で料理にオリジナリティーを出すことができるが、パティシエにはそれは不可能だ。想像してみてほしい。タルト生地が「ミキュイ(半生)」だったら……それは単に失敗した生焼け生地で、お客の口に入ることは決してない。
料理のような性格のデザート
率直、ストレート、切り込んでくる料理。クリストフ・プレの創り出す料理は、彼自身と同じようにダイレクトで飾り気がなく率直だ。ニンフェンブルグの真っ白な皿に、キャビアやトリュフがふんだんにかかっていても、ごまかしや仰々しさは全くない。陶器も、ドレサージュ*もミニマリスト。そして陶器同様、料理の品格は飾りからではない。それぞれの味は周りに邪魔されることなく舌に届く。調理された食材の一つ一つにきちんと役割があり、食材たちはそれを単純に、しかし、しっかりきっちり果たしている。
パンクな料理?鹿肉にはアンチョビを添え、餅にキムチ、トマト、刺身を合わせる。デザートにはミラベルのコンソメの中にカボチャのフランと青のりキャラメル……
こんな組み合わせを思いつく人、かなり反発精神が旺盛でないと無理だろう。
これほど風味とバラエティーに富んだデザートを、これほどたくさん目の前にしたのは、まさに文字通り生まれて初めてだった。
ラインアップ
―ロヴィタプラムの花と赤カブ・マスカルポーネのようなハイビスカスのクリーム添え
―カボチャのフランのロースト・青のりのキャラメル・ミラベルのスープ
―カボチャと昆布のテリーヌ・シーフェンネルとタマリンド
―酒粕のパフェ・ゴマのキャラメリゼ添え
―モワル―オショコラ(スフレのようなチョコレートケーキ)
―「サツマ」ミカンとクルミのアイス、キャビアをのせて
―クラランスの定番プレデセール、季節のジュレ (ハイビスカス?) に薄く覆われたす、レモンクリーム
美味しかった?さあ…… スプーンを口の中に運び続け、その都度花びら占いのように考え込む。「うーん、この味好き?ちょっと?かなり?いや大好き?全然ダメ?……」スプーンを口に運ぶその一瞬が毎回真剣勝負。あ!もう何も残っていない!と気づくまで夢中で自問自答。その位不思議なデザート。好きか嫌いかは人それぞれで、まっぷたつに分かれるだろう。好きでも嫌いでも記憶に焼き付く、そんなデザートだ。
パンクなデザート。私は大好き。 ビデオでアウローラさんがデザートの詳細を語ります。こちらでご覧ください(フランス語)→
ル・クラランス
LE CLARENCE
31 AVENUE FRANKLIN DELANO ROOSEVELT
75008 PARIS
https://www.le-clarence.paris/