ミルフィーユ物語

アルプス。パン職人の朝。

エルザは目の前の生地を伸ばしたり畳んだりする作業に集中している。彼女はたゆまぬ努力の人。生地を丸めて、休ませ、また丸め、一人静かにフイユタージュ(折り込みパイ生地)を作っている。これは非常に重要な工程だ。生地の仕上がりや口あたりはここで決定するといってもいい位なのだから。

ソフィーは出来上がった生地に砂糖をまぶし、オーブンの中で膨らみすぎないようにその上から重いトレイを載せる。折り込みパイの焼き時間は気難しい。修業時代に「時間は相対的なものである」ということを学んだソフィーだが、経験を積んだ今では、大切なのは慎重であることだと今ではわかっている。だからオーブンの中の生地の色とキャラメル具合をしっかり見張っている。火にかけたミルクに気を配るのと同じように。

そうそう、ミルクも忘れちゃいけない！

ミルクは、生産者のローレンスとセバスチャンが直接ミルク缶に入れて工房まで届けてくれる。この生乳は、セバスチャンがどれだけ大切に牛を育てて、二人が頑張って働いているかの証拠そのものだ。ラヴュー¹オートサヴォワ県サンピエールフォシニー村にある地区。Anthonyのパン屋もこの村にあるにある彼らのプチ・シャレ―農場の前に設置された自動販売機でもこのミルクは製品化されている。

ミルフィーユに詰めるなめらかなクリームをつくろうと、ミルクを沸騰させる。フイユタージュも同時に焼いているので、きちんと両方をこなせるか不安になって僕はいつも工房をうろうろ、ぐるぐる歩きまわる。あっ！目を離したすきにミルクは鍋から溢れ、オーブンからは煙が……。フイユタージュが焦げてしまったのか？

クリーム担当はラナ。販売見習いだが、お菓子作りも学びたがっていた。しかしなかなか大変そうだ。特大の泡立て器でクリームをかき混ぜていると30秒で腕が痛くなってくるが、あと1分は混ぜ続けなくてはいけない。真っ赤になりながらも、息を整えて最後の力を振り絞る。完璧なクリームができたとソフィーがほめてくれる。でもやはりお菓子作りはできないと彼女は思う。ラナには店でやることがまだ山ほどあるのだ。

窯の煙の原因は、窯に残っていた小麦粉が煙を出していただけだったようだ。幸いなことにフイユタージュは焦げていない。ソフィーはバニラをたっぷり入れてホイップクリームをつくり、ラナが混ぜ終わったカスタードクリームに混ぜ込む。口当たりの軽いディプロマットクリームの完成だ。絞り袋に入れて準備完了！焼き上がったフイユタージュを切ると美しい直線の切り口が見える。完璧だ。クリームをのせて、組み立て終わったミルフィーユ。後は冷蔵の陳列ケースの中で幸運なお客様を待つだけ。

午前中も終わりに近づく。

今日の奇跡！ いつもは午前中で売り切れてしまうミルフィーユがケースにまだ一つ残っている。慌てて、持っていたバケツの蓋を皿代わりにし、もう片方の手にスプーンを持ち、ミルフィーユの1層目をカットする。途端にクリームがあちこちに垂れるが気にせず、スプーンで全部集めて口に入れる。

その瞬間、何とも不思議なことが起こった。ホイップクリームの脂肪分はフイユタージュを包み込み、逆にお菓子全体を軽くしている。それにバニラから感じるローストの風味、すべてはミシェル・ガロワイエ²パン職人、パティシエ、ショコラティエ。21歳の時にオープンした「Grenier à Pain」は現在国内外で50店舗の下で修行した時に教わったのとまさしく同じだ。それを思い出させてくれた今朝のミルフィーユ。こんなに美味しいのを食べたのは10年ぶりかもしれない。幸せなパン屋、そんな僕の朝だった。

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  オートサヴォワ県サンピエールフォシニー村にある地区。Anthonyのパン屋もこの村にある
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  パン職人、パティシエ、ショコラティエ。21歳の時にオープンした「Grenier à Pain」は現在国内外で50店舗