メゾン SOTAの本当のレストラン名は「Maison-家」。ただ「メゾン」だけだとあまりにも紛らわしいから一般的には渥美創太シェフの名前を付け加えて「メゾン創太」とみんな言っている。パリ11区。今やボボ1Boboブルジョア・ボヘムの略。金銭的余裕のある都会人で、社会的な動向に敏感で基本的にはインテリな人を指すが住む典型的な地域になったが、昔は職人や町工場が立ち並ぶパリの一角だった。その面影が残る、パリ市内では比較的珍しい一戸建てのレストランだ。
「やめておいた方が良い」
オープンしたときには、特にパリ在住の日本人の間で話題になった店だが、今まで私が訪れなかった理由と言うと……「やめておいた方が良い」「発狂するよ」「怒りまくるだろうね」と周囲に止められたからだ。私ってそんなに怒りっぽい性格かしらと疑問に思ったが、「なぜ」と聞くと「本当の料理じゃないから」「ノーマみたいだから」「野菜が多いから」との答え。確かに私はコペンハーゲンの超有名店ノーマに行ったとき非常に不機嫌になった。「なんで木の枝を食べなきゃいけないのよ」と怒ったかもしれない(10年以上前のことだが)。子供のように野菜嫌いなのだ。
だから最初に出てきたアミューズを見たときは、あまりそそられなかった。緑色の菜っ葉の小皿。氷の上に転がったミニ大根。くりぬいたかぼちゃの底にヨーグルトらしきものがあって、更にその上にはかぼちゃに見える小さなキューブ状の植物が葛?とを首を傾げるような(フランスには寒天はいくらでもあるが葛はない)とろみがかった透明な液体にまみれて殺風景に盛り付けられている。
ヨーグルト嫌い、野菜嫌い、菜っ葉は……菜っ葉。
うーむ。色はきれいだけど食べたいと思わない。
菜っ葉と大根
どうしても連れて行きたいという友人と、キッチンが劇場の舞台のように広く目の前にある大きなテーブルに二人で並んで座った。大きなテーブルに相席と言えばそうなのだが、グループの間にかなりのスペースを設けたおしゃれなデザインで、プライバシーは十分守られている。すぐそこで調理が繰り広げられているキッチンは、少々騒がしいが劇場のように見ていて飽きさせない。
仕方ないからまずはサラダ。菜っ葉と菜っ葉で手巻きにしたようなものを指でつまんで口に入れる。
ん???おいしい!!!
シャキッと鮮度はもちろん抜群。青い香りが体中を走るような「若さ」。ドレッシング?なにか味付けしてあったかな?あったとしても非常に軽く、とにかく「青さ」を満喫する、そんな一口「サラダ」だった。
次にミニ大根を指でつまむ。カブかもしれない(野菜嫌いだから実は大根とカブの違いがあまり分からない、だってどちらも白いし!)。あー。懐かしい香り。日本の冬の甘くてカリっと瑞々しく、繊維が限りなくデリケートでエレガントな、そんな美味しい大根の味。フランスには白い大根と黒い大根があるが、どちらも繊維が固く汁けが足りない。甘みがなく辛い。だからこのわずかな透明感を見せるミニ大根(大根だと思う)の自然な甘さ、遠くに土っぽさを感じさせる香りが限りなく懐かしく美味しかった。
茶碗蒸しのようなかぼちゃ
かぼちゃは……。レ・リボ(ブルターニュの発酵乳)かフレッシュチーズを茶碗蒸しのように仕立ててくりぬいたかぼちゃの底に敷き、その上の角切りのものは、なんと柿だった。オレンジ色にオレンジ色、脳が色を味に変えるのか、ちょっとばかり甘くてフルーティな、ちょっとばかり酸っぱい純白な乳の香りが巧妙に混ざり合い、いつの間にかかぼちゃの底までがりがりスプーンでそぎ取ろうとしていた。
栗せんべいとリンゴ
次に出てきたのは、ハイビスカスでマリネしたリンゴをローストしてから薄くスライスして並べたおせんべいのような栗。パリっと自然な栗の甘みは日本の冬に町で匂ってくる甘栗の匂いをふと連想した。その隣に「草」の小皿。上に一見削り節に見えるフォアグラが削ってある。三品目は、ヴァン・ジョーヌ2ジュラ地方で作られている黄ワイン。辛口の白ワインを樽の中に入れっぱなしで酸化熟成させるので一般的な白ワインとはだいぶ違った独特の風味がある。でマリネした生のエビを、揚げたキャベツの葉の間に挟んだもの。甘くないクレープの間にトランペット茸、カラメリゼした玉ねぎ、パルミジャーノ、ブレット3フダンソウ、スイスチャードが小さなペタンコなミルフイユのように挟んである。
手で食べるうなぎ
締めてから七日間寝かせたという鰻に自家製かぼちゃ醤油が絡められた一品。縁日のイカ焼きの要領だろうか。しっかり締まった天然鰻の身は品格溢れる脂がジュッ、噛むと汁が出る。これが美味い!かぼちゃ醤油と炭火の煙の香ばしい味。日本人には塩焼きがある、だからこんなに美味しいと感じるのかと一瞬考えたが、いやいや、世界中の人が炭火焼きを好んでいるではないか。やはり炎で焼いたものは美味しいのだ。そして同じウナギに、今度は自家製パスタとポルチーニ茸を和えた一品。極旨の極旨。頭のてっぺんが吹っ飛ぶような美味。そんな一口だった。
黄身のソースとロースト酵母
その後、不思議な野菜の一皿。ポシェ(少量の水やブイヨンで煮る)したほうれん草、おそらく炭でローストされたブレット、卵黄ソースにグリルしたジャガイモのブイヨン。訳のわからない料理だが、色気のない野菜を実に色っぽく食べさせる。
魚料理には、カラメリゼしたネギとフォアグラを詰めたルジェ4ヒメジ科の赤魚。添えられているのはオゼイユ5スイバとペドロ・ヒメネスワインを煮詰めたソース。オゼイユの独特な舌がかすれるような酸味と、シェリー酒の甘味が甘みを超えて旨味となり、ルジェ特有の生臭さも旨味に変えてくれている。肉料理は干し草いりの塩釜焼きパンタード6ホロホロ鳥にロースト酵母のソース。更に臓物のソーセージ、レバー、モモ肉、数種の根菜が盛り合わせとなったバラエティーに富んだ一皿だった。
締めは軽やかに
軽やかなチョコレートスフレ。ヘーゼルナッツクリームの中からはラム酒が香るバニラアイスクリームが顔を出し、ザボンの砂糖漬けが添えられている。食後にカフェと一緒に出される一口菓子ミニャルディーズにも、小さな栗のケーキと栗クリーム、洋ナシとイチジクオイルのソルベ、ブドウのボンボンなど。さらっとさわやか、軽いけれど味がしっかり。そんなデザートが次々出てきた。
最初から最後まで美味しさに圧倒されたランチであった。不思議な食材の組み合わせや調理法(酵母ローストのソースって?)、建物と内装にぴったりのラスティックモダンな超ボボ的雰囲気、確かに「北欧っぽい」。ノーマでもそうだったが、指でつまんで食べるものが多い。握り鮨を箸で食べる私には若干面倒くさいが、こういうところが今でも比較的古風なフレンチよりも斬新でなんとなくノルディックスタイル。しかし、厳しい土壌(テロワール)を持つ北欧の料理のアセクシュアルな性質とは反対で、ここの料理は男の色気の匂いをぷんぷんさせる力強さ。確かに野菜が多く、フランス料理が好きな(そして私も好きな)赤い肉は皆無。しかしである。視覚では知性に訴えかけてくるこの料理。一端口に入ると感じるのは、パリッとした食感、ジューシーな潤い、オイリーな丸み、のど越しと噛み応え。土壌の味と火の味を巧みに操り、まったくの快楽。料理は文化であり、ヘドニズムである。
ヘドニズムに身を任せ
「メゾン」厨房の奥には二つの「火」がある。片方はピザオーブンのような釜戸で、もう一方はバーベキューのような炭火。渥美シェフ「メゾン」のシグニチャーは「火の料理」。肉・魚・野菜・酵母まで、すべてをここで焼く。この調理場ではいつも炎がぱちぱちと燃えているのだが、時には、シェフの髪が焼けてしまうのではないかと心配になるくらい高く舞い上がった火が見える。小柄なヘーパイストス7ギリシア神話に登場する炎と鍛冶の神のようにエプロンを汚し汗だくになり、映画「獣人」81938年に公開されたジャン・ルノワール監督の映画。原作はエミール・ゾラ。主演のジャン・ギャバンは鉄道士を演じている。のジャン・ギャバンのように顔も炭で黒くしているのは渥美シェフ。そして前のパス(厨房で料理をサービスに渡すカウンター)では金髪で色白の二番手、ポーランド人のマルシン・クロールが涼し気に盛り付けを管理する。普通の厨房の真逆ではないか。
サービスはとても気持ち良いが多少詰めが甘い。料理名などは、聞き取れないくらいすらすら言葉を並べよく聞き取れない。だから上記の私の説明も不正確である。正確に詳しく知りたい方は、ぜひ足を運んでみてほしい。ここまで鮮度が重要な料理は当然メニューが頻繁に変わるはずだ。といっても、私はすべてを知る必要はないと思っている。いや、知らない方が美味しく食べられるのではないだろうか。酵母のローストがどうやってソースになるのか、そんなこと知って何になる?それより、シェフに身を任せて目をつぶって料理を味わう。そんな幸せがここにはある。
Restaurant Maison (Maison Sota Atsumi)
3 rue Saint-Hubert
75011 Paris
https://www.maison-sota.com/
- 1Boboブルジョア・ボヘムの略。金銭的余裕のある都会人で、社会的な動向に敏感で基本的にはインテリな人を指す
- 2ジュラ地方で作られている黄ワイン。辛口の白ワインを樽の中に入れっぱなしで酸化熟成させるので一般的な白ワインとはだいぶ違った独特の風味がある。
- 3フダンソウ、スイスチャード
- 4ヒメジ科の赤魚
- 5スイバ
- 6ホロホロ鳥
- 7ギリシア神話に登場する炎と鍛冶の神
- 81938年に公開されたジャン・ルノワール監督の映画。原作はエミール・ゾラ。主演のジャン・ギャバンは鉄道士を演じている。