難しい食材として知られている和牛。パリ二つ星の老舗「タイユヴァン」で4日に渡り行われた群馬県主催の上州和牛ランチは、1日1卓4席のみのプロに向けたイベントだった。さて、和牛をテーマとした長いメニューは、フランスのシェフにとっては大きなチャレンジ。和牛をどう扱うか?和牛は本当に美味いのか?その価値はあるのか?パート①
和牛は、誰もが知っているように高価なものである。10年以上前、日本からの輸入が禁じられていた時代は、モナコ経由でフランスに輸入し、半頭買いのみでキロ240€もした。輸入が解禁になってから値段が下がったが、それでもフランスの高級レストランでは年に1、2度行われるイベント時以外にはほとんど出てこない。その理由は、フランス人シェフが口を揃えて言うように和牛は「興味はあるが扱いが難しい」食材だからなのだ。逆に(フランス料理の)日本人シェフは和牛は焼くだけかすき焼きが一番旨いと言って、進んで使おうとしない。私が知っている限りでは小林圭氏以外、現在パリで和牛をメニューに出している日本人シェフはいない。
ジュリアーノ・スペランディオ氏の挑戦
2021年に「タイユヴァン」のシェフとして就任したジュリアーノ・スペランディオ氏はリグーリア州出身のイタリア人。イタリア語訛りのチャーミングなフランス語を話し、北イタリアの繊細なエレガンスを漂わせた高級フランス料理を作る。
「タイユヴァン」での4日間にわたる上州和牛を囲むランチは、とても興味深いものだった。というのも、スペランディオ氏が刺身や寿司、カルパッチョにわさびや柚子胡椒を添えたような安易な料理ではなく、純粋なフランス料理に挑戦したからである。伝統的に、フランス料理での肉料理とは、長時間煮込んで煮汁やワインを凝縮させた料理の魂だ。薄切りにしてしゃぶしゃぶにする日本の肉とは本質が違う。
和牛サーロインを生のままグリッシーニに巻く。その上に粗挽き黒胡椒を数粒。シャンパンの代わりにビールのカンティヨン。とっても良いアペリティフだがだが……興奮させてくれるものでもない。シェフが言うように、和牛の生肉は熱くなれるような食材ではないのだ。だったら熟成したガリシア牛の薄いスライスか、育ちの良いノルマンディー牛の方が味に複雑性があって合うのでは?と想像してしまう。
次に来たのは奇抜な料理だった。冷たそうに見えたが実はちょっとぬるいくらいで、そこにはひたひたに敷かれたターメリックのソース。その中に小舟のように浮いているのが生の和牛と生のヒメジの肝。生+生だけど臭みもなく、土の動物と海の動物が黄色いちょっとばかりエキゾチックな絆でマリアージュ。新婦の父親みたいに煮だこが横に。なんとも不思議な料理だが、ビールと合い、さっぱりした酸味ととても柔らかい旨味が良く合っていた。
牡蠣、オゼイユの葉、卵はミモザ、アーティチョークはバリグール風1南仏で付け合わせによく出される料理で、アーティチョークを炒めてハーブとワインで煮た酸味を利かせた料理。「卵のミモザ」は茹で卵のことを指すフランス料理用語で、茹でた卵の黄身だけを使うときも言う。牡蠣に卵とは珍しい相棒だが、脂身を加えずに丸みを出すには悪くない。酸味を良く利かせた牡蠣の料理は、デザートを除いて本日のランチで和牛を使わない唯一の料理だった。
オルティーのロワイヤルに牛コンソメのジュレ。オルティー(セイヨウイラクサ)は紫蘇の親戚で古来からフランスでは「貧乏人のスープ」の素材。「ロワイヤル」は茶碗蒸しとそっくりなフランス料理の古典。コンソメは和牛ではなく普通のフランス牛でじっくり。ここ十数年「コンソメ」という料理が稀になったが、それは原価コストと手間がかかり過ぎるだからだと聞いている。上に和牛のタルタルのクネルがぽつんと。こちらはフランスのこってり濃い生クリームよりもちょっとばかり固いテクスチャーだが、口当たりはクリームよりもクリーミー。脂肪のしつこさが一切感じられないのはこの肉が上質であることを記しているのか。タルタルの上に、飾りかと思う海藻が少々。「生ガキの味がする海藻」というなぞなぞのような名前の天然海藻で、収穫する海藻屋さんも本当の名前を知らないそうだ。つまんでそれだけ口に入れると、驚くほど開けたばかりの生ガキの味。オイスターリーフなんて俗っぽいものではなく、本当に拾ったばかりの牡蠣を、牡蠣ナイフでがりがりっと開けて即座口に放りこんで飲み込んだ、そんな強烈な新鮮味が広がる代物。
ワインの選択はオーソドックス、というと言い方が悪いが実に美味しく気品あふれる白。やはりタイユヴァンのようなグランド・メゾンでは、こういうワインがさらっと飾らず出てくるのだな。
和牛のカネロニ、ザリガニ、ソース・シュプレーム2伝統的には鶏肉料理に使われるバター、生クリーム、レモン汁を使ったソース。オリーブオイルを一滴、赤ワインソースも大きな一滴。『フランス料理はソースだ』と日本の有名なシェフが言ってるが、その通り。この大きな一滴で一品が目覚める。絶対スプーンで食べるべき料理だ。それはリ・オ・レ3フランスのライスプディングのぽったりした重みやイチゴミルクのとろっと柔らかい食感、日本の餅入り雑煮のほろっと溶ける甘味も彷彿させる、白くてとろんと優しい風味。味の相性がとてもクラシックな、実に美味しい一皿だ。
和牛のソーセージ……というと日本ハムの商品みたいな響きだが、和牛だけでは味も食感も淡泊になりがちなところに、仔羊の足を加えてコラーゲンが程よい歯ごたえになっている。触感とは不思議なもので、触感があるから味が良くなるのか、触感と味が全く別で、味も単独に美味しいのか、区別がつかないのが人間の味覚。仔羊の足は味なのか触感なのか両方なのか良く分からないまま、スプーン一杯分のソースをかけたソーセージを食べ終えた。繰り返すが『フランス料理はソースだろ』、と改めて納得。このソースがあるとないでは世界が逆さになって宇宙が裏返しになるくらいの違いだ。
ワインも世界を渡って日本の赤。飲み物としては美味しいと思ったが、料理とのペアリングとしては今一つ。甘さと重さと微かな雑味のようなものが、ソーセージとはいえかなり繊細な趣向とはちょっと不釣り合いだった。おそらく「普通」の血のメタリックな味がする赤い牛肉だったら合っていただろう。
それにしても和牛とは、なんて難しい素材なんだ!
(つづく)
- 1南仏で付け合わせによく出される料理で、アーティチョークを炒めてハーブとワインで煮た酸味を利かせた料理
- 2伝統的には鶏肉料理に使われるバター、生クリーム、レモン汁を使ったソース
- 3フランスのライスプディング