嬉しい!ついにパリに天ぷら屋がオープン!だいぶ前から天ぷらを「スペシャリテ」とするレストランがオープンするとの噂はあったが、実現していなかった。「銀座鮨おのでら」が鉄板焼きレストランをオープンして、続いて天ぷら屋をやると聞いていたが結構
パリから完全撤退してしまった。
日本料理の揚げ物は、なぜか世界の料理人、特にフランスの料理人を惹きつけるようだ。
以前から「トァンプラ」(フランス語で発音するとこうなる)はビストロノミー・ガストロノミー両者のテーブルにしつこいほど出現する。「ポァンコ」(パン粉のフランス語発音!)は、近所の肉屋が使うほど言葉として一般化しているが、日本から輸入したパン粉ブランドが少々高いためほとんどの店が韓国産のパン粉を使っている。パン王国のフランスでなぜわざわざパン粉を輸入する必要があるのかは、やはり「ジャポン」のオーラと言うしか説明のつけようがない。確かに、日本のふわふわのパンで作ったパン粉でないと、あのちょっととげとげした独特な見た目が生み出すサクサク感はでない。しかし、私は古くなって
かさかさに乾いたオーガニックの酵母パンをかなづちで砕いてパン粉にしている。これはこれで、日本のパン粉と違うけれど美味しいのだ。
コロナの「おかげで」テイクアウトが急激に進化したパリ。昔はアフリカ人しか食べないと言われていたフライドチキンも好評で、「カツュ」(カツのフランス語読み)も大流行中。
星付きフレンチでも、「鳩カツ」が銀皿に仰々しく盛られて運ばれてくる。
カラアゲやトンカツなどフランス人にもファンの多い日本の揚げ物の中でも、やはり「Tempura」が最もフランス料理に親しまれている。しかし、実際のところ知識はまだまだだ。というのも、フランス人は「衣」にくるんで揚げればなんでも「Tempura」になると思いがちだからだ。日本の本当の天ぷら―関東風の黄金色にカリっと上がった香り高いもの、あるいは関西風の衣が白く薄くサクサクっと溶けるように歯に当たるものも―がどういうものなのかフランス人には伝わっていない。
フランスミシュランで、アジア人として初の三ツ星を獲得した小林圭さんはレストランオープン当初から揚げ物を出している。それまでのフランス料理文化で、衣をつけて揚げる食べ物は、お祭りや市場で買ってつまむ「ベニエ」くらいだった。「ベニエ」はドーナツの先祖で、その代表がぺ・ド・ノンヌ(訳すと、尼さんのおなら)だが、町のパン屋で売っているジャムやチョコレートを詰めた穴の開いていないドーナツもベニエと呼ばれている。
また、フランスでもスペインの揚げ菓子チュロスはポピュラーだ。そのどれもが、日本でいえば縁日の焼きイカのように立ち食いで食べるような食べ物だ。だから圭さんがオマール海老に衣を塗して揚げたときは、フランス人の年配のお客さんから苦情が出たという。圭さんがパリの三ツ星店で自身の揚げ物を「天ぷら」とは呼ばず、フランス人のお客さんや報道陣が「テンプラ」と言うにも関わらず、しぶとく「ベニエ」と言い続けているのは、やはり日本人だからだろう。天ぷらとベニエの違いを心得ている。
今までパリに全く天ぷらがなかったわけではない。そば・うどん屋には天ぷらがあるし、日本料理店でも当然天ぷらは出てくる。しかし、本当の天ぷら屋の天ぷらではなく、しょせん天ぷらそばスタイルの天ぷらで、カウンターできちんとお客の前で揚げてくれる天ぷらではなかった。フランスで美味しい天ぷらができない理由は油だと聞いていた。大豆油、太白ごま油、米油、木綿油などがほとんど手に入らない。ご存じだと思うが、日本の天ぷら屋の油は関東では100%ごま油も少なくないが、調合するところも多く、鮨屋のシャリ酢同様、その配分は各店の秘密なのである。
パリのオペラ界隈には、お世辞にも美味しいとは言えないがパリだから仕方ないかと半分納得していくような日本食レストランが密集している。名前を覚えきれないほどの数だ。その中の一軒が、今でも日本人が経営している「善」。日本人がきちんと経営しているからか、他より多少高めだが味も悪くない。オーナーが亡くなったときに、娘さんがお父様の夢を果たしたいとパリ初の天ぷら店「天善」を2022年夏前にオープンした。
開店して数週間後に食べに行った。場所は非常に面白く、地上階の大衆食堂から入り階段を降りるとガラッと雰囲気が変わる。銀座のレストランのような静かな10席ほどの空間はパリでは珍しい、高価な檜作り。12席のカウンターのみ。京都で組み立てたレストランを、いったん解体して再びパリで組み立てたそうだ。日本で設計されたからだろう、換気が完璧で油の匂いがほとんどしない。それだけでも大拍手。
面白い話を聞いた。京都から「天ぷらシェフ」が来るはずだったのがコロナで来れなくなってしまい、なんと急遽、地上階の食堂の鮨長が天ぷらに「転職」したそうだ。「どうやって習ったのですか。」と尋ねたら、コロナ中で日本に修業にも行けず大変だった、「でも鮨より天ぷらの方が簡単ですから……」と。それはそうだ。家庭で鮨は握らないが天ぷらくらいは揚げる。しかし、高級天ぷら屋は家庭の天ぷらとは違う。正直に言ってしまうところがまた愛くるしい。普通だったら「いわば素人です。」とは言わないのでは ?
さて、肝心な天ぷらは?元鮨長が揚げた天ぷらはまずまず。当然だが、日本の一級天ぷら屋には及ばない。油は本格的で日本から調達した木綿油だそうだ。衣も、薄く白い京都風で申し分ない。問題は素材とその調理。日本料理は「引き算」とよく言われるが(私は間違っていると思うが、このディベートはまた後日)、他の国の料理よりもシンプルなだけに素材そのものが目立つ。つゆか塩だけで食べる天ぷらは素材が第一のわき役。日本でも同じだが、素材の基本は絆。限られた業者から限られた質の食材をもらうには深い人間関係を作る必要がある。時間がかかることだ。日本人は言葉の壁も厚い。だから鮨屋を除くパリの高級日本食品店はどこも素材がイマイチだ。そして素材の仕込みがまだ甘いと私は思った。一人の客として、なにがどう甘いか聞かれると分からない。しかし、一級の天ぷら屋で味わう、熱い天ぷらを口に入れ、歯が薄い衣に沈み、カリッ、サクッ、ジュッと、天ぷらから出る野菜の汁の熱々の香り、魚から伝わる筋と身の遊び、イカの深い弾力と柔らかさ、それらが微妙に浅い。美味しいのだが…… のんびりと美味しい。そして、一流の天ぷら屋では油の跡さえ残らないというが、ここはまだまだ油のシミが紙に広がる。
しかし、東京の高級天ぷら屋の3~5万円コースと比べたら、「天善」の昼65ユーロ、夜120ユーロのコースはお手ごろでコスパが良い。まだ開いたばかりだ。シェフはこれからどんどん素材を開拓し、仕込みを慣らし、技術も磨き上げるに違いない。私としては、パリに天ぷら屋ができたことだけでとても嬉しく思う。そして夢を実現したオーナーの度胸を高く評価したい。
天善
Tenzen
8 rue de l’échelle
75001 Paris
https://tenzen.fr/