「オープンしたのはいつですか?」
「2020年1月です。」と満面の笑みで答えるシェフ。
「あ……それは大変だったでしょう?」1(2020年3月14日、新型コロナ対策強化の一環として、仏首相エドゥアール・フィリップは レストラン、バー、その他の商店や公共施設などを含む「不要不急の公共の場所」の閉鎖を発表した。対象となる企業へは政府が拠出する連帯基金からの助成金が直ちに給付されたが、支払いは前年の売り上げに基づいて行われたため、2020年に開業した企業には支払われなかった。)
「そうですね……でも、おかげで近所の方々と知り合うことができました。野菜や自家製ジャムを売っているうちに、モンマルトル住人の皆さんがここに集まって来てくれて嬉しかったです。」
「あなたがシェフ?」
「はい。僕はジュリアンで、弟はニコラ。二人でここのシェフをやっています。二人ともはっきりした性格なので、最初は一緒に仕事をすることに慣れる時間も必要だったし、ロックダウンのおかげで時間をもらえました。サービスは僕のパートナーのジュリアです。本当に家族経営の小さな店なんですよ。」
モンマルトル村
モンマルトル村アメリー・プーランでおなじみのルピック通り。パリで一番急な上り坂があるモンマルトルは、パリからちょっと離れた感じで、一昔前までモンマルトルの住民は近所以外に出かけるときは「パリに行く」と言っていた。シャントワゾーのテーブルに座るとルピック通りの石畳が首を傾げたくなる位斜めに見える。エディット・ピアフが歌う下町モンマルトルは過去のことだが、古い狭い道では子供たちが遊び、映画「赤い風船」に登場する有名なガス灯が照らす石階段、そんな懐かしい雰囲気が今でも漂っている。
1765年 レストラン誕生
1765年 レストラン誕生フランス革命の直前まで料理人は貴族の使用人だった。日本でいえば旅館のような宿泊施設のオーベルジュでも食事を出していたが、職業としてのプロの料理人はあくまで貴族に雇われる人たちだけだった。世界初の「レストラン」ができたのは1765年のパリ。マテュラン・ローズ・ド・シャントワゾーが初めて現代のレストラン同様、テーブルを並べ献立表から食べたいものを選ぶ形式の「食べ物屋」をオープンした。
「レストラン」は、フランス語の動詞「Restaurer(レストレー、体力を回復する)」が語源で、「体力を回復する場所」なのである。しかし、その後も当時の一般庶民が外食する場所はオーベルジュだけで、そこではいわゆるプロの料理人ではなく、宿屋がその時の料理を作って出すだけだった。ところが革命後、貴族が急減し無職になった料理人たちが次々とレストランを開き、庶民も外食をするようになったという。ジュリアン、ニコラのデュラン兄弟はレストランの原点へ敬意を払うため20席余りの小さな店を「シャントワゾー」と名付けた。一軒クラシックだが実はモダンな、面白い料理を作る兄弟だ。
2022年 ノスタルジー
今日のフランスガストロノミー界のキーワードは「ノスタルジー」。パテ・アン・クルート、パイ包み、クラシックな濃いソース、野兎の煮込み、狂牛病以来敬遠されていた仔牛の頭(テット・ド・ヴォ―)など、昔の料理が再流行している。それらを本や映画でしか知らない世代のお客が求め、料理学校で習っただけで食べたことのない料理人が作る。不思議な関係だ。フレンチガストロノミーが間違いなく世界一であった黄金時代への憧れなのだろうか。この10年ほど、フランス料理を主張するレストランで、シェフがジビエの季節に必ず作るのがリエ―ブル・ア・ラ・ロワイヤル(王風野兎)だ。料理人が作りたがる料理。お客が一年間待ち遠しく期待する料理、と彼らは信じている。
フランス料理最高峰のチャレンジであり、私はこれ以上の「料理人の料理」はないと思っている。普段は「仕事が大変だ」と文句ばかり言っている料理人が、急に野兎の季節になると、至って面倒な仕込みに励み、丸ごと届く野兎の皮をはぎ、解体し、肺など一般人にはとっては気持ち悪い内臓や、腿の肉など丸々一匹全部使いマリネし、調理し、ファルスを作り、何リットルものワインと血を煮詰める。一週間近くかかる仕込みを苦ともせず、逆に喜んでいて楽し気。それがフランス料理人にとっての野兎のようだ。
フランス料理史を象徴する味
「国王の料理人かつ料理人の帝王」アントナン・カレーム(1784-1833) 219世紀初期の料理人。「建築」のような立体的なバンケット料理を構築したエスコフィエと並ぶフランス料理の巨匠。
「近代フランス料理の父」オーギュスト・エスコフィエ(1846-1935)3「近代フランス料理の父」と呼ばれる19世紀末のフランス料理の巨匠。彼の「料理の手引き」は現在でも料理人のバイブルとされている。
「王風野兎」には二種類ある。一番知られているのがエスコフィエが記したペリゴール風。アントナン・カレーム風とも言う。野兎の胴体にフォアグラや黒トリュフを使ってファルスで詰め、丸く巻いて紐でくくって丸ごと調理する。料理をサーブするときには厚めにスライスして豚の血でつないだ濃厚なソースをかけて出す。そのソースは完璧な「ミロワール(鏡)」。鏡のように満遍なく光沢を覆ったソースがこの料理の一つの基準である。
美食家アリスティード・クトー議員(1835-1906)
「料理界の重鎮」ポール・ボキューズ(1926-2018)
「世紀の料理人」ジョエル・ロブション(1945-2018)
一方、20世紀後半の巨匠ポール・ボキューズそしてジョエル・ロブションが蘇らせた「セナトゥール・クトー風」。クトー上院議員は19世紀の美食家で、煮込んだ野兎をエフィロシェ(ほぐすこと)にしてソースに絡めて、スプーンで食べるものとした。外観が悪いのでドレサージュ(盛り付け)が難しいこの料理を、ロブションの一番弟子フレデリック・アントンは斬新な盛り付けを用いて三ツ星レストラン「プレ・カトラン」で出した。「プレ・カトラン」と同年2007年に三ツ星を取った「アストランス」のシェフ、パスカル・バルボはこれに柚子などの柑橘を加えリフレッシュしたものを、ただの「シヴェ」(濃いソースで長時間煮込んで濃いソースで仕上げるシチューの一種)と呼んでシンプルな白いボールにおじやのように盛り付けた。
さて、シャントワゾー兄弟はこの伝統の一品に挑戦した。だが、彼らはクラシックにひねりを加え、独自のスタイルを編み出した。銀行のローンでオープンしたばかりの小さな店で高価なトリュフなど使えない、そんな厳しい現実にもぶつかったのではないだろうか。
必要は発明の母と言われるが、彼らはセナトゥール・クトーの野兎にひとひねり。ブーシェ・ア・ラ・レーヌ(王妃のパイ)というこちらも伝統料理だが、筒形に切り抜いた折パイ生地の中にトロッとしたホワイトソースを絡めた鶏やホタテ、マッシュルームなどを詰めて出す料理がある。彼らは「王風野兎」というクラシックを「ブーシェ・ア・ラ・レーヌ」というクラシックと合わせ、さらに燻製の鰻という中世ヨーロッパの味を添えた。クラシックの中にクラシックを入れてクラシックを添えて……マトリョーシカ人形のようではないか!
通常、王風野兎のソースにはダークチョコレートのように黒々と渋みもある。しかし彼らのは感覚的に言うとミルクチョコ。いや、当然ミルクチョコの味も甘みもない。しかし、伝統の野兎のソースがダークチョコなら、こちらはミルクチョコのように優しく食べやすい。アメリカ人やアジア人が結構苦手なメタリックな血の味もほとんどせず、滑らかな仕上がりの王風野兎パイ。だからジビエの野生な匂いと血の香りが大好きという純粋派には向いていないかもしれない。逆に、重たいフランス料理が食べられなくなっている今の若い世代(と、日本人?)は好むのではないかと思う。
パイの上には生のシャンピニオンの薄いスライスを、高級店のトリュフのように盛り付けて、トリュフよりも軽やかでさっぱり。その脇には、小さなキューブ状のフォアグラがぽつんと一個。「付け合わせ」というか、横に転がっているのは根セロリと燻製の鰻。他にもいろいろ乗っていたが、すでにかなりの情報量で私の脳はパンクした。
立体的な料理はゴージャスなフランス文化の雰囲気を再現しているが、味はモダン。王風野兎をこのように「進化」させるとは、若くて無防備じゃないとできないだろう。
セルヴェルとラーブル
シーズン真っ最中の野兎の話を最初にしたが、実は私がシャントワゾーのランチで一番気に入った料理は仔牛のセルヴェル(脳みそ)と野兎のラーブル4前足と後足の間にある肉で、背と尻にあたる。胴体が小さいウサギ、野兎はラーブルの部分と腿以外は食べるところがほとんどない。
メニューを見て「きゃ!嬉しい!仔牛の脳みそがある!」とまず喜ぶのは、最近脳が少なくなったから。しかしその直後に「うーむ」と悩んだのはハラペーニョとアヒ・デュルチェ。脳みとの組み合わせがまったく想像できなかったからだ。そもそもアヒ・デュルチェってなんだか知らない。調べたらあまり辛くない南米の唐辛子だそうだ。ハラペーニョはメキシコの唐辛子でメキシコ料理で使われているから知っている。
丸ごと出てくる脳みそはポシェ(水やブイヨンなど少量の液体でさっと煮る)してあり、内臓特有の臭みも匂いもきれいに消されている。ボリューム満点のこの前菜、とろけるような脳みそ、日本料理の白子にもそっくりな触感はかなり美味。ハラペーニョ、アヒ・デュルチェ、ふんだんにかかっているパクチーの葉が青くてフレッシュ、ほのかにピリッと辛い香りで仔牛の脳みそを包んでくれるから、オードブルと思えないほど大きい丸ごと一個の脳みそもペロリ。甘く優しいプリンや葛湯を食べる感覚でいただいてしまった。
もう一品とても気に入った料理は野兎のラーブル。ラーブルは兎類のフィレと言って良いだろう。こちらはメインでとってもシンプル、焼いただけ。しかしその紙一重の火入れが抜群で、脂身のない赤い肉に限りなく深い味を与えている。上にはワッフルポテトチップスが数枚。横にはジャガイモと根セロリのピュレと、真っ赤なラディッキオ(イタリアの冬のサラダ菜、チコリの一種)。鮮やかなワインレッドの色はビーツとザクロで、果実のジューシーな甘みと軽い酸味が脂の代わりに赤身の野兎肉を丸く包んで、ドライな肉に淑やかさを加える。とにかく素直に美味しい一皿だった。
蟹と海藻とクリーミーなコンソメ
その他いただいた前菜は2品。ブルターニュ南部で天然の海藻を収穫する「漁師」として有名なジャン・マリー・ペドロンの海藻をふんだんに使った蟹。横に大根かと思ったら洋ナシのスライス。もう一品はキジ・栗・ブドウのクリーミーなコンソメ。コンソメは透明な出汁のようなスープと思っていたが、こちらは生クリームだろうか、コンソメというよりビロードのような濃厚なスープ、ヴルテの触感。どちらも非常に美味。
この日の料理全体にバックに流れるメロディーは果実だった。フランス料理の意外にきつい塩気に水分を補給し、自然な甘みで骨格が太く濃い味を和らいで食べやすくする。この記事は献立の順とまったく逆で、最初に出たアミューズブーシュの牡蠣で終わるが、この牡蠣もレモンとゴールデンキウイで仕上げてあった。
フルーツで優しくなったとは言え、やはり濃厚な料理の締めはデザート。パティシエを探しているとジュリアンシェフが言っていたが、確かにこれは料理人のデザートだ。料理人のデザートは不思議と意外にざっくりしている。パティシエのきめ細かさがない。その反面あっさりと主張がなく、のど越しが良い。
CHANTOISEAU
63 rue Lepic
75018 Paris
https://www.chantoiseau-paris.fr/
- 1(2020年3月14日、新型コロナ対策強化の一環として、仏首相エドゥアール・フィリップは レストラン、バー、その他の商店や公共施設などを含む「不要不急の公共の場所」の閉鎖を発表した。対象となる企業へは政府が拠出する連帯基金からの助成金が直ちに給付されたが、支払いは前年の売り上げに基づいて行われたため、2020年に開業した企業には支払われなかった。)
- 219世紀初期の料理人。「建築」のような立体的なバンケット料理を構築したエスコフィエと並ぶフランス料理の巨匠。
- 3「近代フランス料理の父」と呼ばれる19世紀末のフランス料理の巨匠。彼の「料理の手引き」は現在でも料理人のバイブルとされている。
- 4前足と後足の間にある肉で、背と尻にあたる。胴体が小さいウサギ、野兎はラーブルの部分と腿以外は食べるところがほとんどない。